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千葉地方裁判所 昭和51年(わ)176号 判決

被告人 井上雅司 外九名

主文

被告人ら一〇名をそれぞれ懲役一〇月に処する。

被告人ら一〇名に対し、この裁判の確定した日から三年間それぞれその刑の執行を猶予する。

訴訟費用は、証人本間泰夫に昭和五二年八月一〇日支給した分及び同染谷輝に同年一一月九日支給した分を除くその余の一一分の一ずつを各被告人の負担とする。

理由

(当裁判所の認定した事実)

第一本件に至るまでの経緯

(一)  新東京国際空港の位置決定等

政府は、東京都周辺における航空輸送需要の増大によつて、遠からず東京国際空港の航空機処理能力が限界に達し、新空港の設置が必要となるとの予測のもとに、昭和三七年度予算から新空港調査費を計上し、所管の運輸省において種々調査検討を進め、昭和三八年八月二〇日、運輸大臣から航空審議会に新空港の候補地及びその規模について諮問を発し、同年一二月一一日、「管制、気象、工事、都心からの距離等の諸条件を総合すると、千葉県印旛郡富里村付近が候補地として最も適当であり、防衛庁との調整が可能であれば霞ヶ浦周辺も適当な候補地である。新空港敷地面積は二、三〇〇ヘクタール(約七〇〇万坪)程度を必要とする。」旨の同審議会の答申を得た。

新空港の設置場所については、その以前から閣僚等政府関係者が思惑的な発言を行ない、対象地住民に混乱をもたらしていたが、右答申後も同様の状態が続き、主要な対象地を有する千葉県当局の要請にもかかわらず、政府内部の意思統一は容易に得られず、対象地住民の反対陳情等がかまびすしくなるうちで、政府は昭和四〇年一一月一八日に至つて、ようやく関係閣僚懇談会において設置予定地を富里村周辺に内定し、これを発表した。しかし、この富里案は千葉県当局との事前協議を欠いていたため、千葉県当局の賛成すら得られず、関係地元住民の反対運動が激しさを増すまま、地元対策についての具体案を示す段階にも至らず、文字どおり内定の域を出なかつた。

その後、政府は千葉県木更津市沖埋立案を検討するなどしたが、同所も適地であるとの見通しが得られず、その間に自由民主党政務調査会があつせん案として千葉県成田市三里塚を採りあげることなどがあつて、昭和四一年六月二二日、内閣総理大臣が千葉県知事との会談に際し、成田市三里塚所在の下総御料牧場と周辺の県有地を中心に極力民有地にかかる面積を圧縮して建設したい旨提案し、その協力方を要請し、ここに政府の新空港設置予定地は一転して富里村から成田市三里塚に変更されることとなつた。千葉県当局は、直ちに成田市長に事情説明を行なうなどしたのち、右三里塚案が国家的要請に対するやむをえない犠牲であるとして、補償対策に万全を期することを条件にこれを了承したため、政府は、地元関係者に対する説明会の開催、千葉県当局との補償対策についての協議等を経て、同年七月四日、新東京国際空港(以下成田空港ともいう。)の位置を成田市三里塚を中心とする地区とし、その敷地面積を一、〇六〇ヘクタール程度とすることに閣議決定をし、翌五日新東京国際空港の位置を定める政令(昭和四一年七月五日政令第二四〇号)を公布した。

(二)  新東京国際空港の建設とこれに対する反対運動

こうして、新東京国際空港公団法(昭和四〇年六月二日法律第一一五号)により同空港の設置及び管理に当ることとされていた新東京国際空港公団(以下空港公団という。)は、昭和四一年七月三〇日正式に発足し、間もなく用地問題に取り組み始め、政府、千葉県、関係市町等と連絡を取りつつ、地元住民に対する説明会を催すなどし、昭和四二年一月二三日運輸大臣から工事実施計画の認可を受け、同年一〇月一〇には外郭測量に着手したりしながら、用地の任意買収交渉を推進する一方、土地収用法に基く事業認定、公共用地の取得に関する特別措置法に基く特定公共事業の認定等を得て、任意買収に応じない地権者に対し土地収用手続をとり、これにより収用した土地等について、昭和四六年二月ないし三月及び同年九月二次にわたる行政代執行を行ない、また、その間の同年七月買収ずみの土地の地上物件等について仮処分の執行をし、右事業認定からもれた航空保安施設設置予定区域を除く第一期工事のための用地を確保したうえ、引き続き四、〇〇〇メートル滑走路、その他の空港諸施設の建設を押し進めた。そして、本件発生当時成田空港は、右滑走路南側の航空保安施設設置予定区域の買収が完了しないため、同区域内に設けるべき施設が滑走路用地内に食い込んで設置されていたほか、第一期工事をほぼ終え、燃料輸送、騒音対策、空域等をめぐつて未解決の問題が種々残されていたとはいえ、右航空保安施設設置予定区域付近に建てられた二基の飛行妨害鉄塔を除去しさえすれば、航空機の離着陸には支障のない状況となつていた。

他方において、成田市三里塚が新空港設置予定地とされた直後から、農民が大多数を占める地元住民の間には、政府の空港位置決定が地元の意見を聴かずに行われたこと、空港が農地を奪つて農民の生活を破壊すること、空港の設置が地元にとつて害のみあつて益の乏しいものであることなどを理由にして、成田空港の設置に強硬に反対する者が数多く現われ、まず三里塚国際空港反対同盟及び芝山町空港反対期成同盟を結成したのち、程なく両者を三里塚芝山連合空港反対同盟(以下反対同盟という。)に合体させ、以後成田空港反対運動は反対同盟が主導的地位を荷なつて展開されるようになつた。反対同盟は当初既成左翼政党と結んで反対運動と取り組んでいたが、昭和四二年一〇月の外郭測量の実施を境に、実力闘争に踏み込もうとしない右政党とたもとを分かつて、新左翼各派の支援を受け始め、反対同盟構成員から脱落者が続出したものの、空港公団の資金や警察力に頼る態度への反感も加わつて、反対運動は次第に実力による抗争の度を強め、昭和四三年二月及び三月の各空港反対集会、昭和四六年二月ないし三月の第一次代執行、同年七月の仮処分執行、同年九月の第二次代執行等に際し、反対同盟、その支援団体に関係する者ら(以下空港反対派という。)と警備警察部隊との間で、相次いで大規模な衝突が起きるに至つた。しかし、そのような反対運動も結局空港公団の用地取得や建設工事を阻止できなかつたため、空港反対派は相協力して、前記航空保安施設設置予定区域付近に航空機発着の障害となる鉄塔二基を建設し、これが存立するかぎり開港が不可能なところから、本件発生当時鉄塔死守を呼号して、空港公団が予定する鉄塔撤去の仮処分に徹底抗戦の構えをみせていた。

(三)  本件発生直前の状況

空港公団は、昭和四九年二月ころ、前記滑走路南側に設置予定の航空保安施設の工事及び管理のため使用するとして、一般には前記鉄塔撤去の用に供すると目された道路の建設を策定し、空港敷地内の旧三里塚ゴルフ場から山武郡芝山町岩山字宮ノ下八八番地先の里道(以下通称に従つて産土参道又は単に参道という。)までの約三〇〇メートルの区間をA、B工区、産土参道の道路敷から町道大袋台宿線に至る約二〇〇メートルの区間をC工区とし、同年六月一七日建設省所管国有財産部局長千葉県知事から、右道路敷及びその町道寄りにある水路敷の該当部分について公共用財産使用許可を受けたうえ、同年六月から同年九月にかけて工事を行ない、A、B工区をほぼ完成させた。しかしその後は、C工区に隣接する私有地の買収作業に手間取り、その地権者らの起工承諾が得られないまま一時工事を中止していたが、買収問題に見通しが付いて右起工承諾が得られたため、工事の再開を企図し、その時期について水田に水を張らないうちの昭和五一年二月ないし三月初旬ころを目途とするようになつていた。

一方、空港反対派の者らは、右道路建設が鉄塔撤去のための準備行動であるとして、これに警戒の目を向けていたが、昭和五一年二月一八日に至つて、工事の再開を妨害する目的のもとに、右道路敷のA、B工区寄りの路端部分に同工区とC工区をしや断する形で、鉄パイプを支柱にした高さ約三・七メートル、長さ約四一メートルのベニヤ板塀を構築した。

空港公団は、右板塀のため道路工事の再開ができなくなつたことから、同月一九日千葉県土木部に相談を持ち込み、同月二一日千葉県及び関係省庁との協議を経て、同月二三日千葉県知事あてに右板塀の撤去方を求めた。これを受けた千葉県知事は、同月二四日、右板塀を里道の不法占拠物件であるとして、撤去勧告を行なつたうえで、これに応じないときは国有財産である里道の管理権に基いて翌二五日早朝に右板塀を自力撤去することに決定し、空港公団にその撤去作業及び撤去物件の保管方を依頼するとともに、同日(二四日)午後一時過ぎころ、空港反対派の妨害を受けながら、「告示 この物件は不法占拠物件ですからすみやかに撤去してください撤去しない場合は管理者において撤去します 昭和五一年二月二四日 建設省所管国有財産部局長千葉県知事川上紀一」と記載した板を右板塀に掲示し、さらに、翌日の撤去作業について千葉県警察本部長あてに警察官の警備出動を要請し、空港公団においても、千葉県側の動きに合わせて、撤去作業のための手配をし、警察官の派遣要請を行なつた。

同月二五日は、午前六時前から空港反対派約二〇〇名が右板塀付近に集まるうち、空港公団作業員が午前六時一五分に撤去作業を開始する予定のもとに、右板塀の空港敷地寄り台地に到着し、千葉県警察本部長指揮下の警察部隊も板塀撤去にともなう違法行為を予測して、同本部警備部第一機動隊が同台地上に、同第二機動隊が西方四所神社境内に、関東管区機動隊青柳中隊が東方番神交差点付近に配置につくなどし、作業開始時刻の接近につれ右板塀付近を目差して前進して来た。

第二罪となるべき事実

被告人らは、いずれも反対同盟の支援団体に関係する者として、昭和五一年二月二五日早朝から前記板塀付近におもむいていたものであるが、

(一)  被告人井上雅司は、ほか約三、四十名の者と共謀のうえ、同日午前六時一七分ころ、前記板塀から四所神社寄りの産土参道上において、前記板塀撤去作業に際し発生が予想される違法行為の規制、検挙などの任務に従事中の千葉県警察本部警備部第二機動隊第一中隊所属の警察官らに対し、竹竿で突き、石を投げつけるなどし、その際自らも所携の竹竿(昭和五二年押四八号の六)で数回突き、

(二)  被告人多田は、ほか約二、三十名の者と共謀のうえ、同日午前六時二〇分ころ、前記板塀から四所神社寄りの産土参道上において、前記第二機動隊第一中隊所属の警察官らに対し、石を投げつけるなどし、その際自らも石を一回投げ、

(三)  被告人室山は、ほか約二〇名の者と共謀のうえ、同日午前六時二〇分ころ、前記板塀から四所神社寄りの産土参道上において、前記第二機動隊第一中隊所属の警察官らに対し、竹竿で突き、あるいは殴りつけるなどし、その際自らも所携の竹竿(同押号の一六)で一回殴りつけ、

(四)  被告人工藤は、ほか三、四十名の者と共謀のうえ、同日午前六時二〇分ころ、前記板塀から四所神社寄りの産土参道上において、前記第二機動隊第一中隊及び第二中隊所属の警察官らに対し、竹竿で突き、石を投げつけるなどし、その際自らも所携の竹竿(同押号の五四)で右第一中隊所属の警察官らを五、六回突き、

(五)  被告人井上聖昭は、ほか約一〇名の者と共謀のうえ、同日午前六時二〇分ころ、前記板塀南側の四所神社寄りの水田内において、前記第二機動隊第二中隊所属の警察官らに対し、竹竿で突くなどし、その際自らも竹竿(同押号の二三)で五、六回突き、

(六)  被告人林は、ほか約二〇名の者と共謀のうえ、同日午前六時二〇分過ぎころ、前記板塀付近の産土参道上において、前同様の任務に従事中の千葉県警察本部警備部第一機動隊第一中隊所属の警察官らに対し、竹竿で突き、石を投げつけるなどし、その際自らも竹竿で四、五回突き、

(七)  被告人内海は、ほか約二〇名の者と共謀のうえ、同日午前六時二〇分過ぎころ、前記板塀付近の産土参道上において、前記第一機動隊第一中隊所属の警察官らに対し、竹竿で突き、石を投げつけるなどし、その際自らも二回石を投げつけ、

(八)  被告人小川は、ほか約四〇名の者と共謀のうえ、同日午前六時四〇分ころ、前記板塀南側の水田内において、前同様の任務に従事中の関東管区機動隊青柳中隊所属の警察官らに対し、竹竿で突き、土塊を投げつけるなどし、その際自らも竹竿で二回突くとともに、土塊を一回投げつけ、

(九)  被告人大内は、ほか約一〇〇名の者と共謀のうえ、同日午前六時三〇分過ぎころ、前記板塀南側の水田内において、前記第一機動隊第一中隊所属の警察官らに対し、竹竿で突き、石及び土塊を投げつけるなどし、その際自らも竹竿で数回突くとともに、土塊を二、三回投げつけ、

(一〇)  被告人妹尾は、ほか約一〇〇名の者と共謀のうえ、同日午前六時四〇分ころ、前記板塀の南側の水田内において、前記第二機動隊第一中隊所属の警察官らに対し、竹竿で突き、石及び土塊を投げつけるなどし、その際自らも石を一回投げつけ、

もつて、それぞれ暴行により警察官らの職務の執行を妨害したものである。

(証拠の標目)(略)

(弁護人らの主張等に対する判断)

一  被告人多田関係の事実認定について

被告人多田は自己の公訴事実を否認し、弁護人らもこれを支持して、同被告人の逮捕警察官である証人牧野実の当公判廷における供述は、その逮捕時刻、その犯行地点、犯行現認地点及び逮捕地点の各距離関係、現認してから逮捕に至るまでの経過、現認時に同証人がいた位置、犯人の特定方法等において疑点が多く、全体として信用性に乏しい旨主張する。

被告人多田の本件犯行を直接に立証する証拠は、右牧野の証言以外には存在せず、弁護人らもいうように、まず同証言の信用性を検討する必要がある。

牧野の証言の骨子は次のとおりである。

(1)  同証人は千葉県第二機動隊第一中隊第二小隊第二分隊に所属するものであるが、当日四所神社入口付近で待機していたところ、午前六時一五分ころに至つて行動開始の命令がかかり、同証人が所属する第一中隊は産土参道上を、第二中隊はその右方から迂回して前進した。なお、同証人は分隊の中ではいわゆるガス銃要員であり、楯を持たずに最後尾から付いて行つた。

(2)  するとまもなく前方から石や土が飛んできたが、それは前方の参道上にいた三〇名くらいの集団から投げられたものであつた。

(3)  参道上には通称ウマと呼ばれるバリケードが置かれていたが、第一小隊がその撤去作業にかかり、第二小隊がこれを援護した。同証人はその状況を後方から見ていたが、バリケードの向う側から、竹竿で突く、石を投げるなどの妨害がなされたようで、すぐにはバリケードを撤去することができず、これに数分間かかつた。

(4)  その後バリケードは参道外に撤去されたが、前の部隊の動きなどからみて、そのころ検挙命令が出ているものと思つた。部隊は田圃の方に行く者も出て散開したかたちとなり、ある程度の間隔を保ち対象の規制にあたつた。

(5)  同証人は第二小隊員ではあるが、第一小隊員の後をついて参道上を行き、部隊が散開するに従つて最前列に位置するようになり、橋から一〇メートルくらいのところで投石している男を見た。その男は三〇名程度の集団の中央付近にいて、黒つぽい白と黒のチエツクの半長コート、茶色のズボン、長靴を身につけ、首のあたりに白いトツクリセーターのようなものが見え、ヘルメツトは被つていなかつた。その男が投石するのを見たのは一回で、右手オーバースローで卵大の石を投げた。石は同証人の顔面に飛んできて、同証人はそれを左の手甲で払つた。

(6)  その後同証人が参道上を前進したところ、二〇名より多いくらいのスクラムを組んだ集団がいた。それは主に赤ヘルを被つた集団で、なかには白ヘルの者もいた。その最前列に先ほど石を投げた男がいたので、引つ張り出して逮捕した。逮捕時刻は午前六時三〇分ころで、逮捕にあたつては椿日出男、芝崎清両巡査の協力を得た。

牧野はおおよそ以上のように供述している。

ところで、牧野の証言中では、被告人多田を逮捕した時刻は六時三〇分ころで、牧野はその数分前に同被告人の投石行為を現認したとされているが、関係証拠を総合すると、その時間帯には産土参道上での違法行為はすでに機動隊の手で制圧されてしまつていたとみるのが相当であり、むしろ被告人多田が供述するように、同被告人に対する逮捕行為が行なわれたのは午前六時二〇分過ぎころであつたとうかがわれ、右の六時三〇分という逮捕時刻は措信し難いといわなければならない。また、弁護人らの指摘するごとく、牧野証言における犯行地点等の距離関係についての数値が甚しく混乱していることも、これを否定することができない。

しかしながら、このような時刻の誤りや場所の混乱があつたからといつて、それから直ちに、被告人多田の投石行為を現認したとする牧野の証言を全面的に信用できないとするのは、早計に過ぎる。

本件においては、逮捕警察官である牧野が、いわゆる闘争スタイルではない被告人多田を、その時点では格別の攻撃行為に出ていないスクラム集団の中から引き抜いて逮捕していることに注目しなければならない。当時第二機動隊の隊長であつた証人鶴岡七郎の当公判廷における供述によれば、午前六時三二分ころまでに同機動隊において逮捕した者は一三名であつたというのであり、他の関係証拠に徴しても、同機動隊が参道上にいた集団を無差別に逮捕したというような状況はうかがうことができない。あえて同被告人を逮捕したのは、牧野が真に投石行為を現認し、同被告人をその犯人と考えたからであると推測するのが合理的である。

そして、投石の現認状況についての牧野の証言内容は前記(5)のとおりであつて、一応は詳細かつ具体的ということができるし、牧野がとらえた投石者の服装の特徴は、被告人多田が実際に着用していたものとほぼ合致し、それがかなり目立つものであつたということも首肯できるところである。その他、牧野が投石行為を現認するに至るまでの前記(1)ないし(4)の経過も、証人椿日出男の当公判廷における供述、司法巡査星野吉正ほか一名及び同石黒末広ほか一名作成の各写真撮影報告書等の関係証拠に照らし、十分措信してよいものである。

これらの事情を総合すると、投石行為を現認し、その犯人として被告人多田を逮捕したとの牧野の供述は、前記の問題点を考慮に入れてもなお、事実認定の用に供するに足りる信用性を具えていると判断される。弁護人は、楯も持たずに部隊の最後尾にいた牧野が現認時最前列にまで出ていたこと、牧野の証言が投石者について闘争スタイルではないという特徴的な印象を述べずに、ことこまかな服装に及び過ぎていること、牧野が投石を現認したのち投石者から目を離していること等の諸点についても疑問を提起しているが、いずれも右判断を左右するほどのものではない。

そして、四所神社寄りの参道付近にいた者らでヘルメツトを着用しない者は少数であつたとうかがわれ、投石地点と逮捕地点との近接性、先程述べた服装の特徴等を考慮すれば、牧野が被告人多田を誤認逮捕したとは到底考えられない。

なお、被告人多田は、逮捕される直前までヘルメツトを被り、他の中核派の者とスクラムを組んで板塀正面の参道上でデモをしていた際、四所神社方向から第四インターの集団を追つてきた機動隊に突然逮捕されたのであつて、投石などしていない旨弁解している。しかし、中核派の特徴である白ヘルメツトを被つたものが板塀よりも四所神社寄りの参道上にまで出てきていることは、牧野や椿の証言のほか、証人岡田幸一、同塩田三千夫の当公判廷における各供述によつても明らかであつて、このような基本となるところで同被告人の弁解は矛盾を含んでおり、その弁解はにわかに信用し難いものというほかない。

結局、被告人多田に関する公訴事実は前掲各証拠により、合理的な疑いを入れない程度に証明されている(もつとも、犯行時刻については、訴因の範囲内で午前六時二〇分ころと認定すべきである。)ということができ、弁護人らの主張等は採用することができない。

二  警察官らの職務執行の適法性について

弁護人らは、本件各公務執行妨害の公訴事実における警察官らの職務の内容は、本件板塀撤去作業に際し発生する違法行為の規制及び検挙とされているところ、千葉県知事が行政代執行法所定の手続を経ないで本件板塀を撤去したのは、全く法的根拠に基づかない違法な行為であつて、これに対する抵抗は違法ではなく、警察官らが抵抗者に対し規制や検挙の行動に出ることは許されず、したがって、本件警察官らの職務は適法とはいえないので、被告人らの行為は公務執行妨害罪の構成要件該当性を欠く旨主張する。そこで、以下この点について検討を加える。

まず、本件産土参道は、建設省所管の国有財産で道路法の適用を受けないいわゆる認定外道路(里道)であつて、国有財産法九条三項、同法施行令六条二項、建設省所管国有財産取扱規則(昭和三〇年四月三〇日建設省訓令第一号)三条の規定により、千葉県知事が国から委任を受けてこれを管理すべき権利義務を有するものであり、建設省所管公共用財産管理規則(昭和三二年四月一日千葉県規則第一八号。以下管理規則という。)がそのために必要な事項を定めている。

さて、関係証拠によれば、空港反対派は「本件に至るまでの経緯」のうちで述べたように、空港公団の前記道路工事が滑走路南端に続く航空保安施設設置予定区域付近にあつた二基の鉄塔を撤去するための準備行動であるとして、その工事の再開を妨害する目的をもつて、二月一八日産土参道上に本件ベニヤ板塀を構築したものと認められるとともに、管理規則四条によれば、右板塀を構築するには本来知事の許可が必要であるが、現実には当然のことながらその許可を受けていなかつたことが明らかである。弁護人らは、本件板塀について、産土参道の通行権等を有する岩山部落民が土砂崩れを防止し、さらには道路工事の再開によつて参道の通行が妨害されるのを阻止するために、参道の緊急保全行為としてこれを設置したものであつて、その設置に違法のかどはない旨主張しているが、板塀設置当時土砂崩れの危険が目前に迫つていたような状況は、証拠上これをうかがうことができず、また、道路工事が開始されれば、参道自体の通行に支障が生ずることは否定できないとしても、千葉県知事はこれを考慮して、空港公団に参道の使用許可を与えるにあたりその条件として代替道路の設置を義務付けており、空港公団による道路工事の再開によつて、岩山部落民の参道通行の利益が著しく損なわれるようなおそれも、参道の現状を緊急に保全しておくことの必要性もなかつたというべきである。そうとすれば、本件板塀は知事の許可を受けずに構築された工作物で、違法なものとするほかはない。

のみならず、本件板塀の設置は空港反対派による空港反対闘争の一環として行なわれ、その後も、空港反対派は二月二二日の集会において、鉄塔破壊道路着工断固阻止のスローガンを採択し、同月二四日午後一時過ぎころ千葉県職員が前記告示板を板塀に取り付けようとした際には、ヘルメツトを被り竹竿を所持した者らが妨害行為に出ていること等に照らせば、空港反対派の側には自ら板塀を撤去する意思など全くなく、むしろ実力をもつて板塀の存置をはかる気構えでいたことが明白であつて、右違法の程度は実質上相当に大きいものであつたと断ぜざるをえない。

そして、本件板塀を放置すれば、右のような違法状態が継続するばかりか、空港公団の道路工事が再開できずに、空港建設という公共事業の遂行が妨げられ、公共の利益が損なわれるに至ること、逆に、板塀を撤去することによる空港反対派の不利益は、客観的にみる限りこれを見出すことが困難である(内田寛一作成の昭和五一年三月四日付陳述書によれば、板塀の材料費は二〇万円とされているが、撤去後のベニヤ板等は知事の依頼により空港公団が保管することとされていた。)こと、道路工事には一定の日時を要することから、これを周囲の水田等に影響の少ない農閑期に行なうには、早急に工事を再開しなければならず、その意味で短期日のうちに板塀を撤去する必要があつたこと、それにもかかわらず、千葉県知事としては、後述のとおり板塀の撤去を強制的に行なうべき行政法規上の方途がなく、同様の理由によつて一般民事法上の強制手続もとりえなかつたと解されること、知事は板塀撤去の実行に先き立ち、告示板の掲示により、板塀をすみやかに撤去すべきことを勧告し、撤去しない場合は自ら撤去する旨警告していること、板塀は解体の方法で撤去されて、資材はそのまま別途保管されたこと等の事情が認められ、これらを総合して考えると、千葉県知事が板塀の撤去を決定し、かつこれを実行したことは、里道管理権を有する行政庁の正当防衛ないしは自救行為に当る権利行使としてまことにやむをえない措置であつて、違法とはなし難いものということができる。

弁護人らは、本件板塀の撤去について、行政上の強制執行として行政代執行法等の根拠法規に従つてその手続を行なうことが必要である旨強調しているので、この点に関連してさらに説明を補足する。

確かに、千葉県知事としては管理規則一七条一項により、本件板塀について除却義務のあるその所有者に対し、まず除却を命じ、これが任意に履行されないときには、行政代執行法に従つてその目的を達成するのが本来の筋道である。しかしながら、千葉県職員である証人高橋秋蔵及び同本間泰夫の当公判廷における各供述等によれば、知事は板塀の所有者を確知できずにいたことが認められるので、知事においては、除却義務者が特定されていることを前提とする行政代執行法所定の手続は、これをとりようにもとりえない状態にあつたのである。

弁護人らは、事前の一連の経過、とりわけ二月二四日になされた通行妨害禁止等仮処分申請によつて、知事においても除却義務者を知りえたはずであるという。しかし、仮りに所論のように板塀設置の主体が岩山部落民であるとしても、その所有権が岩山部落民の特定の個人に帰属するものか、岩山区としてこれを所有するものかを判定するのは、客観的にみても極めて困難な問題であるし、たとえ知事が岩山区民や反対同盟等に事実関係について照会しても、板塀設置の経緯等からみて、誠実な回答を期待できない状況下にあつたことが明らかである。また、前記仮処分申請があつたことはテレビ等で報道されているが、手続の密行を原則とする保全処分の申請書内容まで、知事に知るべき義務があるとは考えられない(なお、右仮処分申請書の記載をみても、その申請人である内田寛一が板塀の所有者であるとは主張されていないし、その他の者が所有者であることが明確になつているともいい難い。のみならず、前記本間の証言によれば、板塀撤去後反対同盟事務局長北原鉱治がベニヤ板等の引き渡し方を空港公団に申し入れ、右内田もこれを北原に引き渡すように千葉県側に伝えていることが認められ、板塀の所有関係については、空港反対派内部でも明確になつていなかつたと推測される。)。このような諸事情からすると、知事は板塀の除却義務者を知りえなかつたことについて、過失すらなかつたということができる。

ところで、道路法の適用のある道路については、同法七一条四項により、道路管理者は過失なくして当該工作物等の除却を命ずべき者を確知できない場合、相当な期限を定めて除却を行なうべき旨及びその期限までにこれを行なわないときは、道路管理者又はその命じた者若しくは委任した者が当該措置を行なうべき旨をあらかじめ公告したうえ、自ら除却の措置をとりうるものとされている。本件のような認定外道路の場合には、道路法の適用がなく、適用すべき明文の法規を欠くが、右道路法七一条四項は条理上知事のとるべき手続の準則となる、と解する余地がないわけではなく、そのような見解に立つならば、千葉県知事において本件板塀の除却義務者を確知できず、かつその確知できないことについて過失がなかつたとしても、知事としては右道路法の規定に準ずる手続をとるべきであつたということができる。

これを本件板塀についてみると、知事は、二月二四日午後一時過ぎころ職員をして前記告示板を板塀に取り付けたうえ、翌二五日午前六時一五分ころ空港公団に依頼してその撤去にかかつているところ、右手続のうち板塀に告示を掲示した行為は、道路法所定の公告類似のものとみることができ、問題となるのは、明確な期限の猶予を定めず、かつ告示から約一七時間後に撤去にかかつている点である。だが、道路法が相当の期限の猶予を要求している法意は、義務者に対し除却命令があつたことを知らせるとともに、義務者による任意の除却がなされることを期待し、できるかぎり道路管理者側に強制力の行使を控えさせることにあるところ、本件板塀は前記のような経過で建設され、実力によつてでもその存置をはかることが公言されていたものであつて、義務者の側で任意にその撤去を行なうことは全く期待できない状況にあり、これに加えて、千葉県職員による告示板の取り付けはその後直ちに義務者の側の知るところとなつたと推認されること、板塀の構造は簡易で、短時間のうちに容易に解体し撤去できるものであつたことをも考え合わせれば、千葉県知事が前記程度の予告のもとに十数時間後に撤去の実行にかかつたことも、これを無効視すべきほどに右道路法の規定の法意を逸脱するものとは思われない。

以上を要するに、千葉県知事による本件板塀の撤去行為は形式的には行政上の強制執行として行なわれていないにせよ、いまだ適法の範囲内にあり、これに対する阻止行動が当然に許容されることにはなりえないと判断される。

さらに付言すれば、本件警察官らは千葉県知事及び空港公団総裁の警備出動要請に基づいて出動したものではあるが、警察活動は本来警察官の側における独自の合目的的判断に基礎づけられるものであつて、出動要請の原因となつた事業等に仮りに違法な点があつたとしても、直ちにその警察活動全体が違法となることはないと考えられるので、本件警察官らの職務執行についてもこれを具体的に考察する必要がある。

本件事案は、前記の板塀撤去作業に際し発生が予想される違法行為の規制、検挙等の任務を持つて板塀周辺に出動した警察官らに対し、暴行が加えられたというものである。ここでいわれている違法行為は空港公団の撤去作業に対する妨害が主たるものではあろうが、これに限定されず、その際発生する不法事犯一般を含み、警察官らはそのような多種多様な違法行為に対処するため、包括的な任務を帯びて出動しているものと解すべきである。もとより警察官の職務は事態の推移に応じて個別化し、空港公団職員の個々の行為を妨害する者に対し警察官が規制するというような場合には、空港公団職員の行為の適法性が警察官に対する公務執行妨害罪の成否を決することもありうるが、被告人らの本件各犯行はいずれもそのような場合に当らず、出動中の警察官らに対し直接的に暴行が加えられた案件にとどまつている。

本件板塀の撤去が違法といえないことはすでに述べたところであるが、本件における警察官らの職務の性質が右のようなものであつてみれば、警察活動の独自性という面からも、その職務執行の適法性はこれを否定することができないといわなければならない。

したがつて、いずれにしてみても公務執行妨害罪の構成要件該当性がない旨の弁護人らの主張は採用することができない。

三  弁護人らは、成田空港の設置そのものが違法かつ不当であつて、これに反対する闘争は正当性を有し、本件もその反対闘争の一環として違法性を欠く旨をも主張しているが、しかし、成田空港の位置決定やその建設過程については、政治的意味合いにおいて種々の非難、批判等があり、また、空港公団の事業遂行の面で個々的に法令に触れるものがあるにしても、成田空港を設置することそれ自体がこれに対するいかなる阻止行動をも正当化するほど違法なものとは、到底考えられず、右主張は前提を欠き失当というほかない。

(法令の適用)

被告人らの判示各所為はいずれも刑法九五条一項、六〇条に該当するので、所定刑中懲役刑をそれぞれ選択し、従前の量刑例を参酌しつつ、犯行の経緯、態様、結果及びその罪質、被告人らの各身上等を勘案して、所定刑期の範囲内で被告人らをそれぞれ懲役一〇月に処するとともに、被告人らに対し、同法二五条一項により、この裁判の確定した日から三年間右各刑の執行を猶予し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により、証人本間泰夫に昭和五二年八月一〇日支給した分及び同染谷輝に同年一一月九日支給した分を除くその余の一一分の一ずつを各被告人に負担させることとする。

そこで、主文のとおり判決する。

(裁判官 横田安弘 門野博 八木正一)

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